第二十八話

私がバンコクのタイ語学校に通っていた頃、店主の名前がO(オー)だったので勝手に“Oちゃんのお店”と呼んでいた、スクンビット通りのとある路地裏にあったカラオケ屋に日本人の友人Yちゃんとよく行っていたという話を書いたと思います。当時、あるお客さんのグループと親しくなり、お店でたまたま会うとグループに混ぜてもらって一緒に飲んだりしていました。そのグループはそれぞれがどういう知り合いかは分かりませんが、夜のタイ人女性がリーダー格でその弟分が数人、それと日本人の若者も一人いました。その日本人の若者は私たちと同世代で、ノリはいいけれど実はとりつく島のないような人物でした。夜も更けてくると店主のOちゃんも飲みの席に加わって、タイ語の練習なんかをしながら楽しい時間を過ごしたものです。

Oちゃんは当時三十代前半だったと思います。痩せていて愛嬌のある顔立ちの、何処か中性的な男性でした。一緒に飲んでいたグループの人たちは、そこそこ頻繁に会っていたのに、素性はよく分からないままでしたし、楽しく飲めればよいといった感じでお互い立ち入った話などはしないようでした。そんな元々が繋がりの薄いグループですから、私たちがタイ語学校を修了し仕事に就くようになってからは連絡も途絶え、Oちゃんのお店に行くこともなくなりました。

あっという間に数ヶ月が過ぎ、久しぶりにYちゃんとOちゃんのお店に行ってみようということになりました。お店に入るとOちゃんは不在のようでした。Oちゃんのお店のヤムウンセン(春雨サラダ)が美味しかったのを思い出し、その日もヤムウンセンを注文しました。暫くして出されたヤムウンセンは真っ赤に染まった唐辛子まみれの恐ろしい一品でした。一口食べてその辛さに悶えている私たちを厨房の奥から睨んでいるタイ人女性がいたことにはそのときは気づきませんでした。少ししてその女性が私たちの前にやって来て怒りを込めてこう言ったのです。

「Oは何処なの?」

ただでさえ口の中が辛さで大変なことになっていて思考力が低下しているのに、いきなり見たこともないタイ人女性が出てきたかと思ったら訳の分からないことを言いながら怒っている。一体何のことでしょうか。何とか女性を宥め事情を聞くと、なんと彼女はOちゃんの妻で(Oちゃん本人は自分は独身だと嘯いていた)、今までは家計のために近くの日本料理店でアルバイトをしていたということですが、数ヶ月前にOちゃんが突然失踪したため、今は一人でカラオケ店を切り盛りしていると言います。当時Oちゃんが日本人らと仲良くしていたということをお店の従業員から聞いていたので、私たちがOちゃんをたぶらかしたのではと思ったそうです。私たちは何も知らないと伝え、最終的にはそれを信じてくれたOちゃんの妻は、意地悪で作った激辛ヤムウンセンのことを詫びました。そして、二人でお店をやろうと夢を語っていた夫はいなくなり、お店の開店資金のために作った借金だけが残ったと項垂れるのでした。

Oちゃんのような、責任能力に乏しく甲斐性のない男性っていうのはタイでは珍しくありません。この一件が「微笑みの国」では語れないタイ人の実情を見た最初かもしれません。ちなみに、Oちゃんの店の飲み仲間の一人であった日本人男性は、その後麻薬所持で警察に捕まり、強制送還されたと風の噂で聞きました。日本にいたら知り合えないような日本人と知り合えると、バンコクでの日本人との出会いに積極的になるのも理解できますし、事実私も少しだけそう思っていた時期がありました。けれど、バンコクには本当に色々な日本人がいて、大小さまざまな事情から日本に居られなくなりタイに流れ着いた人も少なくありません。これは怪しい、危ないと感じる自分の勘を大切にすべきです。そして、どんな人と知り合ったとしても、結局は日本での境遇が近い人としか親しくなりませんし、長く付き合える人などそうはいるものではありません。それが分かるまで自分も随分時間の浪費をしたと思いますが、今となってはそれも人生における貴重な経験のひとつだったと言うことが出来ます。

2024年12月更新

つづく…