第十九話

タイ語の日常会話が出来るようになった後、どれだけレベルアップを図れるかは語彙をどれだけ増やせるか、です。前回のコラムでも書いたように、ある程度タイ人と支障なく会話が出来る段階になってくると、たまにタイ人の口から自分の知らない単語が飛び出しても、前後の流れで内容自体は問題なく理解できてしまうことが多いので、そのまま放置してしまいがちです。知らない単語を放置しない、これが意外と難しいことです。

なぜ難しいかと言うと、知らない単語が出るたびに会話を一端止めることになるからです。親しいタイ人が相手でないと出来ないですよね。幸い私の周りのタイ人たちは、私が知らない単語について面倒臭がらずに説明したり、綴りを教えてくれたりしたので大変助かりました。

タイ人は大勢で食事をするのが好きです。タイ語が完璧でない外国人の私が、タイ人に囲まれて食事をする、というのはある時にはとてもストレスを感じるものです。特に、友人の友人、またその友人だとか、親戚一同とか、そういう自分の知らない人が集まる場ではなおさらです。自分が、他の人からは見えない透明人間にでもなったような気分になります。

ある時、自分の親しいタイ人の友人ばかりが集まる食事会がありました。これなら、私が寂しい思いをすることはなさそうなものです。しかし話題がタイの昔のドラマだとか芸能人の話になり、タイ語が云々ではなくて、全く会話の内容についていけなくなりました。お酒も手伝って、場はかなり盛り上がっていました。そんなときに、私の知らない単語が飛び出したのでいつものように、友人のJちゃんに尋ねました。話の腰を折られたJちゃんは、酔っていたこともありぞんざいに言いました。

「えぇ? もうスペルとか分かんないや。ユウコ、帰ったら自分で辞書調べて」

少しして、お手洗い行くのに席を立ちました。ひとりになった途端、自然と涙がポロリとこぼれました。悔しかったからなのか、寂しかったからなのか、自分でもよく分かりません。今私は日本におりますし、元々あまり親しくない人達と大人数で会食するのが好きではないので、あの種の疎外感のようなものを感じることはなくなりました。

ちなみにタイ人の友人Jちゃんは、年に一度しか会えない今でも私が少しでもタイ語の発音を間違えると指をさして大笑いしますし、わざと昔の言葉を使ったり、難しい言葉や諺を入れてきて私が理解しているか顔を覗き込んできたりと、意地悪だけれど私のいい先生です。

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