第二十五話

学生時代の私は、欧米に対する漠然とした憧れを持っていました。そして英語を勉強して世界中の人と会話がしたい、英語を使って仕事がしたいなんて思ったものです。英語は得意でないけれど、勉強するのは嫌いではありませんでした。けれど実際近くに英語で会話をするような相手がいるわけでもないので、上達する気配はありませんでした。その頃メールのやり取りをしていたアメリカ人は、私が辞書を引き引き一生懸命書いたメールにも「B+」以上の評価はくれませんでした。

その後タイに興味を持つようになり、このコラムに書いたようにタイ人の友達ができてからも、しばらくはタイ人と英語で会話をしていました。私の英語も、相手のタイ人の英語もどちらも大したレベルのものではありませんでしたが、難しい話でなければ何とか会話は成り立っていました。タイ語留学をしていた当時、英語を母語とする知り合いも何人かできたので、これはもしやトリリンガルへの道では? なんてぬか喜びしたものです。ある日のこと、タイ語学校からの帰り道にばったりオーストラリア人の知り合いに会いました。彼はいつものように英語で「やあ! これからどこ行くの?」と私に聞きました。次の瞬間、自分でも驚いたことに私の口から自然と飛び出したのは、タイ語だったのです。「kamlaŋ klàp bâan!(帰宅するとこ)」。きょとんとした相手の顔を見て初めて、自分がタイ語で答えてしまったことに気づきました。

タイに住んで、タイ語ばかりの環境にいるのですから当然かもしれませんが、頭の中で今までに覚えた英単語が次々とタイ単語で上書きされていくようでした。又、たまにどうしても英語を話す必要があるときでさえ、タイ語ばかりが先に浮かんでしまい、ひどいときには英文の一部にタイ単語が混ざることさえありました。私の中で英語より完全にタイ語のほうが優位に立ってしまったのです。突然掛かってくる外国人(日本人でもタイ人でもないという意味です)の顧客からの英語の電話は、恐怖以外のなにものでもなくなりました。これは全ての外国語学習において言えることと思いますが、結局のところ本当の意味で生活するのに必要でないと、もしくは明確な目的を持っていないと、外国語は習得できないということだと思います。英語にしても、実際の生活においてどうしても必要だという状況に立たされたことなどただの一度もないのですからね。私の英語学習に対する目的意識の低さにも原因があるとも言えます。つまるところ、私はトリリンガルにはなれませんでした。

タイ現地においても、タイ語留学をしている日本人よりも、出稼ぎに来ているミャンマー人やベトナム人のほうがよっぽど流暢にタイ語を話すという事実も、上記のことが理由ではないでしょうか。

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