第二十話

日本の常識が世界の非常識、などと言われたりしますが、それぞれの国にそれぞれの常識があるのは当然です。日本とタイ、たった二つの国を比較したって、常識、非常識の概念には大きな違いがあるでしょう。

大抵タイに関して書かれた大衆向けの読み物には、日本とタイとの文化、習慣の違いによって日本人が感じるカルチャーショックを面白可笑しく紹介したものが多いように感じます。実際に私がタイに住んでみて、タイ人と日本人は違うなぁと感じたことは挙げたらきりがないくらいあります。どちらが良いとか、正しいとかいうのではありませんよ。けれど結局は次のことが色々な違いを生み出しているのではないかと思うのです。

“他人の目を気にするか否か。他人の評価を自分の判断基準にするか否か”

日本とタイのことしか知らないので、世界の他の国ではどの程度他人の目を気にするものなのかは分かりません。少なくとも日本人はタイ人に比べて気にしすぎると思います。それが普通だと思ってきたので、タイ人があまりに気にしないのを見て、なんて自由な人たちなのだろうと羨ましく思うことさえありました。加えて日本人はタイ人に比べ、他人に高く評価されたいという欲求が強い人が多いように思います。見栄っ張りという点ではタイ人のほうがはるかに上なのは面白いところですが。

他人の目を気にするか否かで、日本人とタイ人の会社での働き方は大きく変わります。

日本;家族より仕事を優先することを美徳とする
タイ;仕事より家族を優先。社員旅行は家族同伴が当たり前

日本;上司が帰らないから帰りづらい、と無駄な残業をする
タイ;何もなければ定時きっかりに帰宅。明日できることは明日する

日本;周りの空気を読みながら恐る恐る有休を取る。もしくは取れない
タイ;有休は仕事に支障が出ない限り取りたいときに取る

日本;やたらと会議に時間をかける
タイ;会議は必要事項のみで手際よく終了

日本;問題が発生すると、逆に問題をこじらせるような処理を、時間をかけて行う(拘った割には時間の経過とともになぁなぁになることが多いのは不思議)
タイ;効率よく早期に解決するか、もしくは解決するのを諦め処理を上司に任せる

日本;徹夜をしてでも納期までに仕事を終わらせる
タイ;表面だけ繕ってとりあえず終わったように見せかける(のちに必ず問題発生)

日本;会社員として、いや日本人として不正は絶対にしない
タイ;平社員クラスでも普通に小さな不正を当たり前のようにする

日本人が仕事に長時間費やす場合、それなりの成果があれば称賛に値するのですが、ときにただ“仕事をしている感”を出すためだけとしか思えないような時間の使い方をすることがとにかく気になりました。その点タイ人は、無理をして能力以上の力を、しかも継続的に出してももらうことは難しくても、効率的に仕事を片付ける能力には長けている気がします。タイの携帯電話会社のサービスカウンター、銀行、病院の処理の速さにはきっとびっくりしますよ。一言でいうとタイ人はさっぱりとした働き方をする、とでもいいましょうか。タイで働いていた頃には日本で感じるような人間関係のストレスを感じることは全くありませんでした。

他人の目を気にするか否かという点について、私の実体験を基にした日本人とタイ人の働き方を例に挙げて見てみましたが、このような違いは普段の生活における行動や言動にも同じように見られます。公共の場での男女の、ときに派手すぎる痴話喧嘩も、日本では滅多にお目にかかることはないでしょうが、タイでは珍しいことではありません。あるときなど、スーツ姿にピンク色のキティーちゃん柄の靴下を履いて出勤するOLを見かけ、好きだから履いているという当たり前のことが羨ましく感じられました。もちろん日本人にも、タイ人にも色々な人がいますので、全ての人に当てはまるわけではないのは言うまでもありません。また世代によっても差があるかもしれません。特に働き方に関しては、日本では2019年からの“働き方改革”もありますからね、いい方向に変わっていくことを願うばかりです。

他人の目を気にしながら、他人の期待に応えるために120%の力を出してきた日本人。おかげで国の秩序や治安は保たれ、戦後瞬く間に復興そして発展を遂げることが出来ました。豊かになった一方で、息苦しい世の中を作り、幸せだと感じにくい社会を作ったのも我々日本人です。そんな日本に暮らしていると、タイののんびりとした空気やタイ人の大らかさに惹かれるのは当然のことかもしれません。しかし格差が激しく、不正が広く深く根を張る国にはそうなるだけの理由もあるのです。何事も、二つの国のちょうど真ん中くらいであれば人として生きやすいのに、と私はいつも思っています。

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