第二十六話

今日はタイが舞台とはいえ、ほとんどが日本人の話になってしまいます。タイに住んでいた頃、疑問に思っていたことがあります。何故日本人は海外で同国民に会うのを嫌がるのだろう、と。海外旅行に行ったときに私のように感じたことがある人もきっといると思います。海外のホテルや観光地で日本人を見かけ、「あ、日本人だ」とお互いやけに牽制しあうあの感じ、一体なんなのでしょうか。ちなみに以前は海外で同国民を見かけると喜んで話しかけていたタイ人にも、自由に海外旅行が出来る人が増えた昨今、その反応に変化がみられ、今や日本人と同じように振る舞う人がほとんどだとか。海外に行くこと自体が難しいことではなくなると、どういう理由で海外に行ったのか(仕事なのか旅行なのか)、又はどちらがお金や気持ちに余裕を持って旅を満喫しているかなどを競う気持ちになるのでは、と勝手に推察しています。

私もバンコクに行ったばかりの頃に、この海外で日本人に会うということで何度か嫌な思いをしました。私がバンコクに初めて借りたアパートは住人のほとんどが外国人で、日本人も複数人住んでいました。初めてエレベーターで日本人女性に会ったときには嬉しくなって話しかけたのですが、唐突に「私はこっちで仕事してるんで(=あなたは遊びでタイにいるんでしょう、と言わんばかりの口調)」と素っ気なく言われ面食らいました。そして偶然向かいの部屋にも日本人女性が住んでいたので、たまたま顔を合わせたときに挨拶をしたら、こちらはなんと「放っておいてください」と睨まれ、バタンとドアを閉められたのです。挨拶をしたことを後悔しました。この人はよっぽどのっぴきならぬ事情があって日本を離れたに違いない、と想像して納得するしかありませんでした。

又ある時、デパートの前のバス停でバスを待っていると “地球の歩き方”を片手に手当たり次第近くのタイ人に英語で「サイアムに行くには何番のバスに乗るんですか」と尋ねている日本人女性を見かけました。そもそも、タイ人も日本人同様英語は得意でない人が多いですし、例え英語が分かったとしても自分が使う路線以外のバスのことなど知るわけがありません。誰に聞いても分からないようで、その日本人女性が少し気の毒に思えたので、「508番のエアコンバスで行けますよ」と日本語で言ったんです。そしたらなんと・・・、空気扱い(見えない、聞こえない)されました。そして私から離れたところでまたタイ人に地図を見せながら尋ねているんですね。懲りずに別の日、今度はやはり“地球の歩き方”を片手に右往左往している日本人男性に「どうかされましたか?」声を掛けましたら、こちらはもっとひどい、手で犬を追い払うようなしぐさをされたのです。確かに地球の歩き方には“日本人を騙す日本人には要注意”とありますがあまりに失礼な対応です。

そして極めつけが、タイ人の知り合いからの夜中の迷惑電話です。カオサン通りで酔っ払った日本人バックパッカー男性二人が警察官を相手に大騒ぎしているので通訳して欲しい、というのです。パスポート提示を求める警察官に対し、酔って気が大きくなった日本人は「ふざけんなよ、タイの警察がなんだっつーの! 日本人に電話するなんてむかつくなぁ!」などと大口を叩いていました。明日も仕事だというのに真夜中にそんな電話で起こされ機嫌の悪い私はそれを一語一句警察官に訳した上で、「あんまり態度が悪いようなら、一晩くらい署に泊めてあげたらいかがでしょう」と付け加えました。そしてその日本人にもその旨説明し、「ここは外国だということを忘れちゃいけないよ。タイの警察は怖いよ、君らを罪人にするのは簡単だよ。日本に帰れなくなるかもね」とちょっと脅かしてから電話を切りました。日本人は警察官に平謝りをして勘弁してもらったと後で聞きました。ちなみにタイでは外国人はパスポートの携行義務があるので、持っていない方が悪いのです。提示させられることはほぼありませんけどね。

そんなことが重なり、在タイ時の私は“少しくらい困っていそうな日本人を見かけても絶対に助けない”と決めました。決して意地悪なわけではありませんよ。そう決めた理由はまずひとつ、日本人は海外で日本人に会いたがらないということ、そしてもうひとつが重要なのですが、彼らが本当に困っているわけではないということです。旅先でのちょっとしたトラブルを楽しんでいるにすぎません。それで現地の人との交流を期待しているわけです。私が話しかけたら台無しですものね。警察官に平謝りをしたというバックパッカーなどは、日本に帰国後友人らに「あっちで警察に捕まっちゃってさぁ」なんて武勇伝のごとく話して聞かせているんだろうなぁとその姿が目に浮かぶようです。

その後のタイ生活においては決まりを守っていたせいか、上記のように嫌な思いをすることはありませんでした。しかし、タイから本帰国し数年経ったのち、同じ失敗をしてしまうんですよね、それもラオスで。ラオスでは自分も観光客なので、昔のタイでの決まりを忘れてしまったのでしょう。

ラオスの北部、街全体が世界遺産であるルアンパバーンを旅行中のこと。両替をしようとメイン通りにある両替所に行きました。私の前に白人観光客数人と、アジア人女性が並んでいました。先に両替を終えたアジア人女性でしたがその場でしきりに受け取った紙幣を数えては首をかしげています。よく聞くと、その女性は日本語で「イチ、ニ、サン」と数えて「やっぱり足りない」などと言っていました。両替金をちょろまかされたんでしょうね。そしてその日本人女性は、私の前に並んでいた白人らに必死に拙い英語で訴えているのです。白人たちにしても英語圏の人たちではなかったようで、うまく意思の疎通が取れていませんでした。その日本人女性も一人旅のようでしたし、同世代のようでもあったので昔の決まりを忘れて思わず話しかけてしまいました。

「あの、日本人ですよね。お金が足りないんですか?」

その日本人が取った行動には本当にがっかりしました。例の“空気扱い”です。“見えない、聞こえない”振りをするのです。さきほど女性が日本語をつぶやいていたのを聞いていましたし、私も昔と違って歳を取って多少図々しくなっていましたので、負けずにもう一度、今度は馬鹿みたいに大声で言いました。

「日本人ですよね? どうかしましたか?」

どうだ、ここまで言ったら答えるだろう、と思ったら大間違いです。再度“空気扱い”をした挙句に私を無視してまだ下手な英語で白人に訴えているのです。そこでようやく昔の決まりを思い出しました。小さなトラブルを旅のスパイスだと思って楽しみたいなら勝手にどうぞ、です。時間がもったいないので、そこから五十メートルくらい離れた別の両替所に行きました。その両替所は先ほどと違い行列は出来ていなかったので、さっさと両替を済ますことが出来ました。が、まさかと思い紙幣を数えてみると、足りないんですね。先ほどの一件でイライラしていたので、ラオス語とタイ語のちゃんぽんで「さっきあっちの両替所で外国人観光客らが、両替金誤魔化されたって大騒ぎしてて、警察呼ぶって言ってたよ! こっちも呼ぼうか?」と言ってやりました。窓口の女性は、数え間違えただけだと謝っていましたが、ラオス人までこんなせこいことするのかと非常に残念でした。

旅先での小さなトラブルくらいならいいですが、タイでは実際犯罪に巻き込まれる日本人もたまにいます。日本人だからと皆が信用できるわけではないのも事実なので、旅先では自分の身は自分で守りましょう、としか言えないですね。少なくともわたしはタイで、そしてラオスで少しくらい困っていそうな日本人を見かけても、話しかける勇気はありません。

つづく…