第三話

八日間の予定で往復航空券だけを購入し、タイに向かった私と友人。三月のタイといえば暑季の真っただ中ですがそんなこと知る由もありません。何故なら一昨日に航空券を予約した後、ガイドブックをそれぞれ購入したはずなのに、二人とも相手が読んでくれているだろうと踏んで全くのノーチェック状態だったからです。東南アジアだから普通に暑いだろうと思って降り立ったバンコクは普通じゃないくらい暑かったのでした。

それからの八日間はまさに珍道中という以外ありません。毎日宿を変えながら、バンコクの市内観光、そしてアユタヤからパタヤと郊外にも足を延ばし、ものすごく中身の濃い毎日でした。目にするもの全てが衝撃的過ぎて、特に何が印象に残ったかを挙げるのが難しいくらいです。旅行は確かに楽しかった、けれどタイやタイ人に対する印象は必ずしも良かったとは言えません。

怒涛のタイ旅行から帰り、別の友人にタイ旅行はどうだったかと聞かれた私はこんな風に答えたのを覚えています。

「とにかく暑いし、臭いし。みんな道端でご飯食べて、道端にたらいを置いて食器洗ってるし。タイ人は日本人と見れば小銭を稼ごうとするし」

身も蓋もない感想ですよね。そのあとに少しだけフォローがあります。

「けど親切な人も多かった。なんかみんなお金なさそうなのに幸せそうだった」

フォローになっていますか。

そしてこの部分、私は覚えていないのですけれどその友人がいうには、

「ユウコはあのとき、散々タイの悪口を言ったあとにこう言ったんだよ。“でも私、タイに住んでもいいかも”って」

ですって。

タイに対して良い印象はなかったはずなのに、何故か気になるタイとタイ人。自分は日本に生まれて、何不自由なく生活し、学校にも行かせてもらえて就職して。そんな人生が当たり前で、自分は決して不幸せではないと思っていました。それなのにタイを旅行してからというもの、世界には自分とはあまりにも違う人生を送っている人がいるという当たり前のことに衝撃を受け、何があったら人は幸せなのだろうか、そもそも人にとっての幸せって一体何なのだろうか、と兎に角頭の中で次々と疑問が生まれてはもやもやとした日々を送っていたのです。そしてそんな疑問に対して、タイが何かしらのヒントをくれるのではないかという気がして仕方なかったのです。

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