第十七話

ソーソートーのタイ語初級会話短期(四か月)コースで使用する教科書『実用タイ語会話1』は、時代に合わせて改定されないというただ一点を除いては、本当によくできた教科書だと思います。一冊でタイ語の日常会話に必要な文法やフレーズを網羅しています。買い物をする、レストランで食事をする、タクシーに乗るなど、タイで生活をするのに全く困らないレベルのタイ語が身に付きます。タイ人の友達と電話で簡単な会話をしたり、待ち合わせをして出かけたり、ということもこのレベルで十分です。タイに住んでいれば、タイ語を使う場面やタイ人の話すタイ語を耳にする機会も多いので、このレベルまではある程度すんなりと進めるのではないでしょうか。問題はその後。それで十分だと思うか否かにより、その後のタイ語力の伸びは大きく違ってきます。

私の場合は、もっとタイ人と色々な話題の突っ込んだ話がしたいのに、自分の当時のタイ語力ではそれが出来ないことをもどかしく思っていました。タイ人と会話をしても、対等ではなく自分がまるで知識の乏しい子供になったような悔しさを感じましたし、いつまでも旅行者というかよそ者というか、タイ人と腹を割って話をすることが出来ていない気がして、それではタイ語を勉強しようと思った目的の、ほんのちょっとも達成できていないと思いました。

ソーソートーの短期コースを修了し、現地で職を探しました。タイには多くの日系企業が進出していますし、私のように現地で職を探す日本人は、人件費を抑えたい日系企業にとっては都合のよい存在なので求人は多く、タイでの職探しは日本での再就職とは比べ物にならないほど簡単だったと思います。日本の親会社から派遣される駐在員ではなく、現地で採用されたいわゆる“現採”と揶揄される立場です。皆ほぼ横並びの社会で生きてきたはずの日本人なのに、タイに住む日本人の間には明確なヒエラルキーが存在します。これはロストジェネレーションと呼ばれる世代の私のひがみだけではないでしょう。

タイでの就職は、タイ語が云々というだけでなく、自分にとって何にも代えがたい貴重な経験となりました。私が就職した会社は日本人の社長がタイ現地で興した会社で、日本人は社長と専務しかいませんでした。おまけにタイ人の社員たちは皆、日本語はおろか英語もほとんど話せないという、タイ語の訓練という意味では素晴らしい環境の職場でした。小さな会社でしたので、後から入った私がいきなりタイ人男性社員十人余りの上に立つという立場になりました。自分より年上のベテラン社員もいましたので、その分野の勉強を必死にしました。仕事で使うタイ語の単語も一から覚えました。負けず嫌いな性格だけでこの状況を乗り切れたとは思っていません。タイ人社員のほとんどが、私の存在をすんなりと受け入れてくれたのが幸いでした。女性だからとか、経験が浅いからということなく、色々な仕事を任せてくれた社長には本当に感謝しています。精神的にも大分鍛えて頂きました。

日常会話以上のものを目指すなら、ひたすら語彙を増やし、タイ語にもまれるしかありません。タイ人と対等に喧嘩が出来るようになったらしめたものです。

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